CSD

高桑圭はGREAT3だろうがー!!つってつい最近まで聴かず嫌いしてたCurly Giraffe。や、イイですね・・・すごく。どこか懐かしい感じがして、夏の終わりを思い出させてきて切ない。

すこし前、職場の飲みの席で、ある人に「人と人はしっかり向き合ってなにか問題があれば結論を出すべきだ。それをしないとまた同じ失敗を繰り返すだけ。あなたは人間関係から逃げていて、結果的にあなたのためによくない。」というようなことを言われた。ふだんなら人のそういった発言は気にならないのだけど、なぜだかその人のその言葉は妙に引っかかって、それに対する自分なりの答えがずっと出なくてもやもやしている。

たしかに私はこと人間関係における揉め事が苦手で、出来るかぎり避けようとする。仕事でもプライベートでも、ハッキリと言い合いやけんかすることなんてほとんどない。頭に血が上るより前にどうにかこの状態から抜ける方法を探る。確かに逃げなんだけれど、、人を傷つけることがとにかく怖い。もし相手のことを考えたとき正しくて言うべきことなんだとしても、最終的にきっと相手もわかってくれるとしても、一時でも傷つけたくないと思ってしまう。というか、「相手のことを考えたとき正しくて言うべきこと」が本当に正しいことかどうか確信がもてないから、そもそも言えない。

ここまで書いて思い出した。私は自分の伝えたいことが100%正確に相手に伝わるなんてないと思っていて、色々な考え方や環境によって捉え方が変わっても影響があまり出ないようなことしか言わないようにしようと心がけながらこれまで来たんだった。だから、自分自身の意思はあっても、「相手に伝える自分の意思」は持ってない。相手には相手なりの思いがあるのだからと。

これもすこし前、古くからの友人に「あなたは絶対に人を傷つけるようなことは言わないから。」と言われた。共感はしても否定はしないというスタンスできたんだった。それは相手の意思の尊重だと思ってきたのだけど、必ずしもそうではないのかもしれない。この考えのせいで失ってきたものも確かにある。同じ失敗も繰り返してる。でも一方で私がこう考えるようになったことにはきっかけがあって、これが私をこれまで守ってきてくれたものでもある。

なら割り切れば?と思うけれども、それがなぜだか割り切れない。失ってきたものを後悔しているのか、もう同じ失敗を繰り返したくないと思っているのか。