CSD

はてなれいこんさん(id:reikon)の今日の日記を読んでドキリとした。
今ですら昔よりもつまらない自分になっていることを哀しく感じているのに、もっとずっと未来になって今のことを思い出したとき「あの頃はなんだかんだ言って輝いてたなあ」なんて思うのだろうか。そしてその時の自分をつまらなくなってしまったと嘆くのだろうか。
歳を重ねるごとに昔の自分の色々が剥がれ落ちている。頭で記憶してる『過去の自分』がどんどん擦り減るから、あたかも容量が減って中身が無くなっていってるように思える。減った分だけ加わったものもあるはずなんだけど、私に新たに加わったものといえば一般事務処理能力であるとか早起きして2時間通勤スキルとか、いわゆるただの社会常識だ。剥がれていったものたちと引き換えに得たこれらは個性もなければ特典もなく(だって常識だ)、魅力的とは到底言いがたい。結果、自分がつまらなくなっていると自覚する。
つい先日今年入社する内定者たちの懇親会があった。人事担当者として出席したのだけど、ほとんど全員の瞳がキラキラとしていて非常に戸惑ってしまった。少し話をしてみると「将来的には○○がやりたいんですよ」「××を創るのが夢で・・」…どこで見つけてくるのか、みんな夢を持ってるみたいだった。ご立派だった。
みんながみんな夢を持っているわけではないだろうし、夢を持たなければいけないわけでもない。でもどうしても夢を語る人たちに憧れを抱いてしまう。嫉妬も。たぶん追いかける夢がありさえすればつまらない自分になっていかないような気がしているのだろうと思う。
なんで焦らなきゃならないんだろう。なんで事務に徹していい旦那さまを見つけることに情熱を傾けないんだろう。なんで余裕ないくせにだらだらと暮らしてしまうんだろう。この虚栄心はどこからやってきたんだろう。なぜ私は劣等感に縛られて生きているのだろう。ずっとずっと小さい頃からずっとだ。
こうやって思い悩んでも次の日にはこなさなければならない仕事があり、会社に通う。ひと月に一度や二度は楽しいこともある。些細なおしゃべりや美味しい食事で笑顔にもなれる。常識をわきまえれば日々を安全に生きることができるのだから、過去と引き換えに得たものにも十分価値があると感謝しなければならない。
悪いのは欲深い自分の性か。